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黒坂麻衣 作品集「Silent Landscape」特設サイト

作品集「Silent Landscape」

作品集「Silent Landscape」

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2013年浅草橋天才算数塾より出版された、黒坂麻衣さんの初の作品集「silent landscape」が再販することになりました。​装丁は牧寿次郎が担当。動物・風景など、まるで映画のワンシーンのような描写がとても魅力的です。ぜひ手に取ってご覧ください。
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- 発売日:2021年12月11日
- 価格:3300円(税込)
- 品番:TENSAIBOOK-001

プロフィール

プロフィール

黒坂麻衣 - Mai Kurosaka

画家・イラストレーター
1986年青森生まれ、その後北海道を経て10歳以降は埼玉県へ。
2008年多摩美術大学絵画科油画専攻卒業。
2013ADC賞入選、2014JAGDA入選。
2013年11月 作品集「Silent Landscape」刊行(浅草橋天才算数塾発行)。自身のアートワーク以外に、書籍、広告等幅広い分野で活動。
2019年5月7日逝去

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【Exhibition】 
2012年 個展「IMAGES~ここではないどこか」浅草橋天才算数塾
2013年 個展「Silent Landscape」浅草橋天才算数塾
2017年 個展「Wind」 YUKI-SIS
2018年 グループ展「PORTRAIT」
2020年3月 回顧展 YUKI-SIS
2021年6月 第2回回顧展 青山スパイラルガーデン 

作品集コメント

作品集コメント

藤原ヒロシ

Hiroshi Fujiwara

  永遠の色彩は、今もゆっくりと優しく輝きます

黒坂志津子

Shiduko Kurosaka

黒坂麻衣の母です。 この度、沢山の方々からご要望の多かった作品集が再販される事になりました。 麻衣が20代半ばから後半にかけて描いた作品が主になっております。 本人が、悩みながら選びぬいた作品達です。 麻衣の初期の渾身の作品達です。 また沢山の方々の手に取って頂ける事になり、とてもありがたい事と思っております。 よろしくお願い致します。

𠮷田アミ

Yoshida Ami

うつくしいという言葉を彼女のために用意したくなった。

小田島等

Odajima Hitoshi

画集が出る前後、真夜中に電話でお話をする仲でした。「黒坂さん。美人過ぎる!」なんて話して笑いあった。精神疾患の事、現代の世の中、絵の筆致について沢山話した。リュック・タイマンスからの影響をクリアしたがってたのがいじましい。今でも僕の中で黒坂さんは絵画の大事さの近くにいる。

杉本拓

sugimoto taku

去年から今年にかけて、私は何度も多摩川に行った。その川辺で、映像作品の撮影をしたり、コンサートを催したり、録音をするためというのが主な理由である。様々な場所にいったが、その多くは、多摩川が東京都と神奈川県の県境となっているところである。一番多く通ったのは、東急田園都市線の二子玉川と二子新地、小田急線の和泉多摩川と登戸で、こちら側(東京都)と向こう側(神奈川県)を徒歩や自転車で何度も往復した。そのたびに思ったのは、「もし県境としての境界線というものがあるのなら、それはどこに引かれているのだろうのか?」というものであった。

 試しに「県境」というキーワードでグーグル検索してみると、道路に白線が引かれており、それが県境となっている画像がいくつか出てきた。だが、当然ながら、その線には二次元的な広がり、面――と実際には三次元的な厚み――がある。その部分はどちらの県に属するのだろうか?

 幾何学で図形を示す場合も線が引かれることが多いが、これは抽象的な線であり、現実にそこ生じてしまう「面」は無視して考えないといけない。そういうことになっている。そもそも現実の目に見える世界に線は存在しない。線はモノの境界線を示す抽象的な概念なのである。視覚は「厚み」も含めすべてを面として捉えているのではないのだろうか?

 境界線を示すのに線を用いない方法がある。色で分けるというやり方だ。例えば図形を紙に書く場合は、それを紙とは違う色で塗ればよい。黒坂麻衣さんが絵画でやっているのがこれだと私は思うのである。

 ドローイング等は別にして黒坂さんの絵に線が登場することは少ない。線に見える部分も、彼女はそれを面として感知し、描いているに違いない。「色を用いて描かれた絵画とはそういうものだ」と言われればそれまでだが、曲面や凹凸面も含めた様々な面、そこに当たる光に対する彼女の「色分け」は思いっきりがよく、大胆――つまり小細工がない。私は彼女の作品から感じるこういった特徴を、「黒坂プリズム」や「黒坂ストローク」と勝手に呼んでいる。

 私は、絵画に限らず芸術全般に於いて、「何が表現されているか」ということにはさほど興味がない。というよりもこういう言葉の真意がわからないと言ったほうがいいだろう。例えば絵画のある部分に関して「これは曲面を表現している」と言うなら、その言葉の意味は分かる。だが、それは芸術作品としてその絵がが表現するだろう何かとは違う。何が表現されているかは、人によって異なって感じられるもので、作者にすらよくわからないのではないだろうか?黒坂麻衣さんの絵にしても、何が表現されているかなんてことは私にはわからない(そういえば、彼女の作分にはタイトルがついているものが少ない)。むしろ、この「わからなさ」のインパクトがとてつもないのが彼女の作品の最大の特徴だと思う。よけいなものがまるでないので、部分部分に目があまり行かず、全体としての、あるいは一面としての絵が立ち現れるのである。遠近感がほとんど感じられない「究極の表面」と言い換えてもよい。黒坂さんの作品はとても多様で、それぞれユニークだが、描かれているものが何であるかよりも、それがどのように色分けされているかが目に飛び込んでくるのである。これは色を用いて国境を示す世界地図を(一枚の絵として)見ているような感覚に近い。私は彼女の絵をそのように見てしまう。

 例外もたくさんあるが、絵を描くという行為は三次元から二次元への特殊な変換であり、絵の鑑賞者は二次元から三次元の逆変換を無意識におこなっているのではないだろうか? 黒坂さんが絵を描く時に見ているものや想像しているものや参照としているものは三次元的な何かだとは思う。けれども私が彼女の絵を見て私が感じるものは三次元に参照先を持てないような突拍子もない世界なのである。どうしたらこんな絵が描けるのか?

「黒坂関数」、というのは、私がこの文章を描いている合間の散歩中に思いついた用語である。それは「黒坂プリズム」や「黒坂ストローク」を含む包括的な技法に違いない、彼女の三次元から二次元への変換はこの「黒坂関数」の技法が使われてはずだ――と勝手な用語まで使って、私の黒坂さんの絵に関する考察は妄想の域にまで突入していきそうである。

 私は黒坂作品に対して素直な、単純な感想を書くことができない。しつこいが、わからないのである。正直に書くが、「静けさ」とか「静謐」を彼女の作品に感じることもそれほどない(まったくないわけではない)。あえて書くとすれば、それは「ばかばかしさ」である。この言葉は誤解を生むだろう。でも適切な言葉が思い浮かばないのである。ドストエフスキーの『白痴』の英題は”Idiot”だったと思う。この小説の主人公であるムイシュキン公爵の聡明さは多くの登場人物にとっては「バカ」なのである。あるいは、禅を世界に広めた仏教哲学者の鈴木大拙は自分の名前を意味を”great stupidity”と英訳することを好んだとのことだが、これもイイ線いっているかもしれない。黒坂さんの友人であるダンサーの北原倫子さんから黒坂さんが描いた犬と猫の絵の写真が送られてきたことがあるが、それを見た私は噴き出してしまった。食事中だったら大変なことになっていただろう。しかし、この絵を私は欲しいなあと思った。好き嫌いを超えたインパクトを感じたからだ。こんなことしか書けない。けれども私が屁理屈をこねくり回しているのには理由がある。それを以下に書く。

 芸術において私がより重要だと思うのは「何が表現されているか」よりも「どのように表現されているか」である。”what”ではなくて”how”。何故かというと、芸術は私たちが生きているこの世界が何であるのかを知る道具のひとつであると思うからである。もちろん究極の世界の真理なるものは知りえることが出来ない(と私は思っている)。でも、世界とは驚きに満ちたものであることを感じることは出来る。これを手助けするのが芸術、そして科学であり、このふたつは相互補完的な関係にあると私は考える。日常生活の中で、常識が常識でなくなったり、モノや景色がこれまでと違って見えたり、同じ音が毎回違って聞こえたり、ということはよくあるのではないだろうか?芸術の真価は作品そのものにあるのではない。それを見たり聴いたりすることで、この世界の、これまで知られていなかった新しい側面を開く手がかりを人に与えることにある。

 新しい見方、考え、感じ方を発見した時に私はとても嬉しくなる。私がこの文章で書いた線と面の問題は黒坂麻衣さんの作品と出会ったことがきっかけで考え始めたことなのである。ひとりの芸術家の作品によって、この世界の新たなる側面を開く手がかりを与えられたひとりが私なのだ。

稲木紫織

inaki shiori

「色、透明と測りあえるほどに」

ミルクが混じったような半透明の独特な色彩。

その透明感は、作曲家・武満徹の著書『音、沈黙と測りあえるほどに』に、なぞらえたくなるほどだ。

様々な物語や映画のワンシーンを彷彿とさせるのに、語り過ぎないゆえに溢れ出んとする詩情の美しさ。

儚げでありながら訴えかけてくる絵は、微睡みながら見る乳白色の夢みたいなのに、心の奥底に真っすぐ降りてくる。

静謐で内省的だが、清冽。
イノセントな佇まいに魂が浄化されてゆく。

予約受付(一般)

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個人店向け買取受付

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販売店一覧

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​ニュース

ニュース

・2021年12月6日 aveのサイトにてsilent landscape紹介されました。

・2021年11月11日 下北沢B&Bにて12月11日~12月31日まで展示会が決まりました。silent landscapeの一部作品原画と、本の制作過程を含めた展示になります。

​・2021年11月10日 idea/アイデアのWEBページにsilent landscape紹介されました。

 

・2021年10月20日 特設ページオープンしました。

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